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携帯GPS地図『マッピー』提供ブログ用アイコン01申し訳ないです

のっぴきならない事情があるので(察して)、こっちで続きやります。
申し訳ありません
http://toufurrrrr.blog.fc2.com/

# by segura_ele | 2012-03-22 23:50 | Trackback

携帯GPS地図『マッピー』提供ブログ用アイコン01自意識過剰地獄

凄い悩んでます。↓にも書きましたが、本や評論を読んで音楽を勉強したら昔の方が良かった、今のは背伸びしている、無味乾燥でつまらないと言われ、元に戻したら感覚頼りの文章は反知性主義だと言われる。どうしたらいいのか分からないし、僕は評論がしたいわけでも評論家になりたいわけでもないので、どっちの要求にも答えろと大きなものを求められても、答えられません。
あと、コメント欄を開放していたら、右を見れば分かりますが、荒らされ放題になってます。消してもすぐ書き込むのは分かっているので、放置しているんですが。いっそのことコメントを閉じてしまおうかと思いましたが、そこまでしてブログなんてやる意味があるのか、分かりません。
もちろん批判や間違いの指摘は受け入れますけど、最近あまりにもまわりの声が大きくなりすぎてて、疲れきってしまいました。この前も、ツイッターで意見を押し付けられた挙句怒られたし。僕は影響されやすいから、自然とみんなの声もでかくなるんですかね。

文章なんか書くなってことなんですかね。自己満足で今までやってましたが。

# by segura_ele | 2012-03-22 19:23 | Trackback

携帯GPS地図『マッピー』提供ブログ用アイコン013/21

感性や感覚だけは、昔からよく褒められる。自画自賛などではなく、実際に人から言われる。他人から見た僕は、「感性がとても鋭く、感受性も強い」人間ということになっているらしい。人が見えない、聴こえないところまで、その感覚で感じ取ってしまうのは凄い、とも。
ただ、ブログを見ていただいている人は分かるだろうけど、僕の文章は感覚に頼りすぎていて、抽象的で、具体性に乏しい。文章はぼやぼやと膨らんでいくだけで、中身が希薄になってしまう。知識が欠けているというせいもあるし、体系立てて聴くというのが苦手だからというのもある。ここがいつまでたっても克服できず、評論本や音楽雑誌を読んだり、歴史を調べたり…ということをしていた時期もあった。
そうしたら、その本に書いてあることの丸写しというか、誰かが言ったことを自分の言葉にちょっと変えて、チョロっと自分の意見を付け加えるという、なんの面白みも味もない文章になってしまった。これじゃ、わざわざ僕がブログにアップする意味なんてないし、評論そのものなら評論家やライターにはどうあがいたって敵わないんだからと思って、これも挫折。
今はとりえあず、昔の感覚優先の文章に戻しているけど、これからどうしたらいいのか分からなくなっています。

文才がないのは分かっているけれど、それでも僕は発信がしたいんです。はあ…。

# by segura_ele | 2012-03-21 01:57 | Trackback

携帯GPS地図『マッピー』提供ブログ用アイコン01救い上げるか、落ちていくか



↓のやつがさすがに調子乗りすぎたんで、今回は真面目に書きます…。今まで聴きこんできた音源の中で、もしかしたら一番暗い部類かもしれない。スウェーデンの女性作家、スティーナ・ノルデンシュタムのセカンド「And She Closed Her Eyes」。一部の人を除いて、スティーナが突然暗くなったのはサード「Dynamite」だと言っているんですが、僕からしたらこの時点で暗い。鬱ってわけじゃないけど、超ダウナー。
ファースト・アルバムの「Memories of a Color」は、ジャジーなフィーリングやアコースティックな瑞々しい響き、ほのかに漂うサイケデリア、そしてなんと言っても、彼女独特のひんやりとしたウィスパー・ボイスが特徴の傑作だった。このセカンドも質感としては似ていて、アコギを軸としたフォーキーでシンプルな演奏に、スティーナの永遠の少女のように神秘的な声が耳元で囁きかける。その音像はますます深化していて、一見、ただ聴きやすいだけの女性ボーカルものでいながら、一音一音に彼女のイマジネーションが閉じ込められている。必要最小限のミニマルな音で、ひそやかに、しかし雄弁に様々なものを語るというスティーナのスタイルが、ここで完全に確立されたと思う。個人的には、弦が中期のケイト・ブッシュみたいな「Murder in Mairyland Park」が一番のお気に入り。
しかし、暗い。暗すぎる。可愛らしい歌声に騙されがちだけど、ほんっと暗いです。これは癒し系などではありません。歌詞の内容が自殺にテロリズム、殺人だったりするってこともあるけれど、なにより音自体が下を向いてる。比較対象として的確なのか分かりませんが、90年代を代表する女性作家トーリ・エイモスが、例えどんなにつらい状態に置かれたとしても、顔だけはしっかり上にあげて、常に救いを求めているのに対して、スティーナは自分から谷底へと落ちていってしまう。ヴォーカルがトーリと違って情感が全くないこともあって、感情を徹底して中に押し殺してしまうからというのもありそう。ある意味、暗いとけっこう言われがちなトーリやPJハーヴェイよりはるかにダウナーです。スピリチュアルなアコギをゴリゴリしたエレキに変えて、アバンギャルドなロックに変身したサード「Dynamite」で、彼女の音楽は誰の耳にも明らかにダークになってしまったけれど、今から振り返れば、あのアルバムは唐突なものでもなんでもなく、初期の彼女と地続きだったんだな、と。そういう理由で、僕は音楽に救済を求めている時に間違ってスティーナをチョイスしてしまうと、本当にどん底に落ちてしまうので、あまり聴きたくならなかったりする。スティーナを聴いてしまうと、ビョークの「Vespertine」もどこが内にこもっているのか、よく分からなくなってくるし。というか「Vespertine」は、羽毛のような電子音や賛美歌風の女性コーラス、煌くストリングスなどを駆使した、ビョークとしては密やかなサウンドではあるけれど、本人が言う通り、あれは「内気な人への応援歌」アルバムなのであって、歌う対象はあくまで他人へと向かっている(内気な人のための歌だから音量絞ってるだけかも)。スティーナみたいなひたすら内にこもって落ちていく感覚は、どこにもない。
ちょっと脱線しましたが、僕は音楽に自分を救い上げて、さらに掬い上げてほしいと思ってしまうタイプの人間なので、ビョークはともかく、スティーナよりトーリ・エイモスの方が好きではあるんですが、心に計り知れないダークサイドを抱えている人にはスティーナの方が合うかも。クオリティはほんと高いんで、オススメです。

それにしても、僕の文章はどうしても感覚優先になっちゃいますね。これ、芸風と思ってあきらめた方がいいんですかね。

# by segura_ele | 2012-03-20 04:32 | Trackback

携帯GPS地図『マッピー』提供ブログ用アイコン01涅槃三途の川あっちの世界トリップトランスシンクロ!



一応人並みに音楽を聴いてきたつもりなので、音源の内容の良い悪い程度の判断はつくんだけど(もちろん、僕の好みに左右されていることは分かってます)、その客観的な視点をはるかに超えた、「シンクロするアルバム」ってのがあるんです、僕には。それを聴いていると、過呼吸状態に陥ってゼエゼエハアハアヒーヒー言いながら、ディアンジェロの裏ジャケの女よろしく、白目を剥いてわけのわからない世界に行ってしまいます。気が触れたようにトリップするもんだから、聴き終わった後は、大抵体調が悪くなったり関節が痛くなったりします。そのうち脱臼しそう。てか、呼吸困難になって死なないようにしよ…。で、トーリ・エイモスのサード「Boys For Pele」は、僕にとってそんなアルバムです。なんたって、本人が「あのアルバムで、私は三途の川を渡った」なんて言い放ちやがりましたからね。また、「このアルバムで、私ははじめて自分を完全に解き放つことができた」、とも。
ファースト「Little Earthquakes」とセカンド「Under The Pink」、特にファーストの方は、被レイプ体験をアカペラで歌ったり(『Me And A Gun』)、暴力的なまでの感情の激しさをピアノに叩きつけたりと(『Precious Things』)、この時点ですでに感情の起伏の激しい、エキセントリックな女性歌手ではあったんですが、それでも「Boys For Pele」の目くるめく狂気エロ(?)ワールドを聴いていると、確かにそうなんだろうなあと頷けます。なんというか、憑いてしまった音というか、正確には行き着く所まで行ってしまった音、というか。そこが僕の好みにピッタリです。僕はこういう、突き抜けた人、音というのが大好きなので。
天から降り注いだりオーロラのように煌いたりするベーゼンドルファー(ピアノ)と、時として気色悪いほどにガツガツと火花を散らしながら弾きまくるハープシコードを軸に、そこにホーン、ゴスペル・クワイア、パーカッション、(一部)打ち込みドラム、ストリングスを絡めるというスタイル。そんな演奏をバックにした、吐息交じりで囁いたりシャウトしたり声をひっくり返したりする、息遣い荒いトーリのボーカルが、超赤裸々。彼女のディープな心象風景を、歌声がこれでもかと曝け出してます。よく比較に挙げられていたケイト・ブッシュの声には、ここまで痛々しい赤裸々感覚は無いし(トーリの方がはるかにダウナーだしねえ)、ディープさを考えながら近い人を強いて言えば、親友のPJハーヴェイあたりかな?とは思うものの、「To Bring You My Love」でのPJが、ほとんど呪縛霊みたいに(美しい)怨念を迸らせていたのを聴くと、トーリの湿気や祈りとはまた違う気もする。うーん、ほんと独特。
そのあられもない心象風景の吐露が、僕の心に「シンクロ」するらしく、アルバムを聴いているとトーリが言うところの「三途の川」を渡って、彼岸に行ってしまえる…というわけ。冒頭「Beauty Quenn」で、四回Gの音がピアノで奏でられた後の「ヘイエ~~~~」っていう例のセイレーンみたいなあれだけで、気絶できます。過呼吸になります。その後は、地べたをのた打ち回りながら痙攣します。だから、「Boys For Pele」が客観的に聴いて本当に名盤なのかどうかはどうでもいいんです、僕には。超主観的に聴いて、白目を剥いてトランスできるわけなので。他人に勧めようとも思いませんし、これがこの世で一番凄いとも思ってません。それでいいと思ってます。涅槃三途の川あっちの世界トリップトランスシンクロ!これが僕の全て!

久しく、この手の文章を書いてなかったので、抑えていたものを迸らせてみました。ひかないで…。

# by segura_ele | 2012-03-18 00:00 | Trackback

携帯GPS地図『マッピー』提供ブログ用アイコン01無意識過剰地獄

自意識が強い歌が好きです。って、何をいきなりって感じですが。音楽って、大きくわけると、自意識が前に出るタイプと、無意識で色々やってるタイプがいると見ているんですが、僕が心の底から愛している歌手(じゃなくても別にいいけど)を思い浮かべると、自意識が強いタイプに完全に偏っています。どうも、自意識が強くなると、音がアーティスティックな方向に行く傾向があるようで、例えばケイト・ブッシュやジョニ・ミッチェル、PJハーヴェイにコクトー・ツインズ、マイルス・デイヴィス達の音楽を、芸人の芸って言われても、個人的にピンとこないです。アートと言ってくれたほうが、僕の中ではしっくりです(ルイ・ジョーダンや安東ウメ子さんなんかだと、芸という言葉がピッタリくるんですが)。それを芸能だの芸術だの言いだすと、(また)手厳しく怒られるかもしれないからやめておきますが、僕は明らかに自意識が前に出るタイプの音楽しか、狂おしくは愛せません。アーティスティックなのが苦手な人は、この手のを「押し付けがましくてうっとおしい、歌にメッセージなんていらん」なんて批判しますが、極端に我の強い僕のような人間からすれば、その押し付けがましさが良いのであって、無意識タイプと自意識タイプのどちらが良いかなんて、聴く人の好みでしかないです。僕に言わせれば、何から何まで無意識でやられると、どうとっかかりを見つけていいのか分からないし、入りづらい。何十回何百回も聴き続けて、客観的な素晴らしさが「頭で理解」できる、程度です。ちょっと悲しいけれど。そういう理由で、アルセニオ・ロドリゲスやカルメン・ミランダは、最高のミュージシャンだと認識してはいるんですが、何もかもが自分とピッタリ来るのか?と言われると、実はそうでもなかったりします。カルメンとケイトだったらケイトの方が数億倍は好きです。
さすがに僕も疲れてきちゃって、死ぬほど好きなわけでもない音楽を勉強のために聴くのは、しばらくはもういいや…って。それが芸術ぶってるスノッブと言われるなら、スノッブでいいです、もう。はい、僕はスノッブです。どうぞ罵ってください。

ってアップしようと思ったんですが、どうも最近、自分の心がまともに見られてなかったようで、アルセニオやカルメンを聴き直して見たら、やっぱ良いんですよねー。素晴らしい。最高。どうも、気がついたら人の意見に染まってしまう自分がいます。ああ、だめだ、もう、俺は…。自分がないんだな。

# by segura_ele | 2012-03-17 00:16 | Trackback

携帯GPS地図『マッピー』提供ブログ用アイコン01三途の川



「私は三途の川を渡った」と言ったのはトーリ・エイモス。僕は「三途の川」じゃなくて「あっちの世界」と言っているけど、意味することは同じで、自分達が暮らしているこの世とは違う、向こう側の世界があると信じている(ちなみに、一回だけこの目ではっきり見たことがあります)。一線を越えてしまった人だけが作れる音楽というのも、当然ある。UAの「泥棒」というアルバムが、まさにそれ。重力に引っ張られて谷底まで落ちてしまったかのような重苦しく這いずり回るウッドベース、神経症的なギター、軽めに叩かれるドラムと、表面的にはテンションの低い演奏をバックにした、鈍い光沢を放つUAの声に支配されていく快感。アルバムは、トーリが言うところの「三途の川」のような風景を広げながら、曲が進むごとにその痛みはどんどん増していき、子供と親との関係を痛ましく歌った「ブエノスアイレス」と、愛を求める彼女の歌が魂の絶叫そのものになる「ドア」で頂点を迎える。アルバムの淀んだ空気は、PJハーヴェイの「To Bring You My Love」からの流れを引き継いだものだけど、愛を求めて叫ぶ「ドア」のUAの歌は、あのアルバムのPJに匹敵するほど崇高な響きがする。それは、日常をはみ出した人だけが出せる声。この世からはみ出した人だけが見られる景色。彼岸。三途の川。
もともとUAはこんなヤバイ音楽をやっていた人ではなく、最初はR&Bやポップス、あるいはダブ・レゲエをやっていた、言ってみれば、わりとポップな人だった。しかし、映画出演を経由してから発表されたこの「泥棒」で、音楽シーンに帰って来た彼女は、いきなり「三途の川」を渡っていた。しかも、この後のUAは、「Sun」「la」とさらにアバンギャルドなジャズ方面に進んでいった。ブリジット・フォンテーヌやダグマー・クラウゼあたりの前衛的な女性歌手に通じるような活動だと思う。もちろん、その分アーティスティックな自意識は極端に強くなっているし、アートを確信的に作ってるという意味では、根っからのナチュラル志向の人には合わないと思うけど、僕はこの時期のUAを全面的に支持している。
実験的なことを好き放題やった後、彼女は「こっち側」に帰ってきてしまったのか、最近の彼女は随分穏やかで丸みのある音楽をやっている。それはそれで悪くないけど、まるであっちの世界を目指してフラフラ歩いていたようなこの「泥棒」は、同じくそこに行きたい僕にとっては、宝物です。いつまでも。

# by segura_ele | 2012-03-17 00:08 | Trackback

携帯GPS地図『マッピー』提供ブログ用アイコン01トータル・コンポーザー



プリンスの「Sign 'O' the Times 」、何回聴いたか分かんなくいくらい聴いたアルバムなのに、最近さらに好きになってきた。これ聴いていると、そのあまりの美しさと神々しさにひれ伏したくなるんですが、そういう意味ではプリンスはジャネット・ジャクソンと違って、自分と近い音なのではなく、自分から一番遠くへ行ける音なのかもしれません。ジャネットのようにすみからすみまで共感しながらトリップしているわけじゃなく、プリンスは後光の眩しさによって、だんだん頭が麻痺してきます。真っ白です。白痴になります。ああ、また人からしたら分けのわからないことを言ってしまった。すいません。芸風です。
話は飛躍しますが、ジョニ・ミッチェルって作詞作曲はもちろんのこと、変則(変態)チューニング・ギターによるギターの独特な響き、それからサウンド全体へのアーティスティックなこだわり、ジャズだろうがなんだろうが取り込んでしまうことなど、シンガー・ソングライターというより、音を多角的に見るトータル・コンポーザー的なところがあって(少なくとも僕の中では)、SSWとしては王道を行くキャロル・キングとはまた違うタイプかなーと(いつも一緒にされてること自体に文句があるわけじゃないですよ)。で、ジャズやらアフリカやらなんやら取り入れて肥大していた頃のジョニは誰に近いのかというと、80年代のプリンスっぽいかなあと思った。プリンスもさっき挙げた特徴を見事に備えているし、さらに美意識が強いアート型ミュージシャンということも共通している。実際、ジョニとプリンスは相思相愛なわけだし、そこらへんが通じ合ってたのかもしれないですね。まあ、プリンスの方が死ぬほどファンキーではあるけれど。間にプリンスを挟めば、ジョニとミシェル・ンデゲオチェロなんかも繋げるかもしれないけれど。ジョニ・ミッチェル→プリンス→ミシェル・ンデゲオチェロ…うーん、どうだろう、これ…。少なくとも、僕はどうもこういうトータル・コンポーザーとでも言いたいアーティストに惹かれる傾向はあるようです。この3人は全員大好きだし。
いつものことだが、いつも以上にまとまってない駄文になってしまった。まとめようという気すらないし。どうしようもない。

# by segura_ele | 2012-03-16 15:36 | Trackback

携帯GPS地図『マッピー』提供ブログ用アイコン01頭は大人 体も大人



カエターノ・ヴェローゾのアルバムは、どの時期のものもそれぞれ良くて、煩悩を削ぎ落として涅槃じみた「Joia」やエレピがコズミックでたまらない「Muito」、ファンク・サウンドにアプローチしてかっこよろしい「bicho」、淡い絵画のような「Cores, Nomes」あたりは特に好き。でも、なんだかんだいって、彼の最高傑作は「Livro」なのかなあとは思うけど。ジルベルト・ジルの「Quanta」も97年に発表されていることだし、なんかあったんですかね、この年は。誰かが炒めてたチャーハンを頭から被ったとか。
カエターノの音楽は、ブラジル人としてのアイデンティティに基づいて作られている、もしくは様々なものが折衷されていると思われる節があって、アルバムには、サンバを軸に、ブラジル音楽の要素がべったりと塗りたくられているし、「Pra Ninguem」の歌詞の中で、今昔のブラジルのミュージシャンの名前をつらつら挙げながら、最後にはジョアン・ジルベルトを称えたりもしている。そもそもトロピカリズモ自体がそういう意識を持った運動だったようだし、しかも挙句の果てには、30年代のノエール・ローザの歌のド下手さも、よせばいいのにしっかり引き継いでいる。カエターノは歌が上手くありません。それはともかく、そういったこともあって、カエターノがブラジル人じゃなかったらボブ・ディランを超えていたのに…という賛辞は、個人的にはあまり興味がなくて。カエターノがブラジル人じゃなかったら、すでにそれはカエターノじゃないなあと思うのです。違った形で凄いものが出来ていたとは思うけれど。
さらにその「ああ、ブラジル!」な音楽に、ファンクやジャズ、気品溢れるストリングス、レゲエなどを、アレンジを担当するモレレンバウムと共に自由自在に手繰り寄せながら、適材適所に貼り付けていくというのが「Livro」のスタイル。結果としては、ブラジル音楽でありながら、もはやその枠を超えたポップ・ミュージックであるということを実現している。そういう「相反する要素」という意味で言えば、過去と現在、毒と甘美が、時には激しく対立し、時には濃厚に絡み合い、煌くようなスパークを産んでいく。これはアルバムで徹底して突き詰められている。もちろん、カエターノは、ジョニ・ミッチェルなんかと同じく、対立や融合を「意識的」にやっている人なので、そこらへんが芸術ぶっててうざいと思う人もいるでしょうけれど。基本的にこの人の音って、頭で作られたものなんですよね。
意識的に作られたポリフォニーはカエターノの専売特許だけど、そこを彼の一番の魅力と捉えるなら、カエターノの音楽的な頂点はここになるのかなあ、と思います。

# by segura_ele | 2012-03-14 00:53 | Trackback

携帯GPS地図『マッピー』提供ブログ用アイコン01(白目)



極めつけの名盤の紹介でも。最近、我がTLで微妙に盛り上がってるディアンジェロさんのセカンド「voodoo」。個人的な快感の強さは別にして、客観的に凄さや完成度をそれぞれ見ていったとしたら、数多くのソウル~R&B名盤の中でもだいぶ抜けてるかもしんない。同じくらい完璧なマーヴィン・ゲイの「What's Going On」があるから、一番かどうかはさすがに言い切れないところがあるけど。



↑裏ジャケで白目剥いてトランスしてる女が、個人的にちょっと他人と思えないんですけど、こんなイっちゃってる写真をわざわざ乗っけるだけあるのです。ピノ(白人)の黒々した地を這うベース、クエストラブのポリリズミックなドラム、死ぬほどファンキーなギターやホーン、何層にも重ねられたディアンジェロの歌声と、単純に演奏の編成を見た限りでは、とりたてて特筆するべきことはないにも関わらず、まるでマイルス・デイヴィスの「On The Corner」の捻れ感覚を現代にアップデートしたような、メビウスの輪の如く捻れた音像が(マイルスについては過去日記見てね)、なんとも脳をグッチャグチャのメッチャメチャにかき回してくれます。トランス必至。78分の陵辱。グルーヴの陵辱。
ディアンジェロがアルバムに施した、ヒップホップとR&Bとの融合ということで言えば、DJプレミアが手がけたM2「Devil's Pie」のどす黒いヒップホップ・ビートや、レッドマン達のラップが火を噴く「Left & Right」に顕著だけど、もちろんこの2曲に限らず、延々とループするような反復的な曲の構造といい(分かりやすいサビなんてどこにも無い)、時にはほとんどラップのように歌を崩すディアンジェロのヴォーカル・スタイルといい、極限までヒップホップの手法をグツグツと煮詰め、さらにそれを空中分解ギリギリでR&Bと融合させている。例えるなら、カルピスの原液を水で割って飲みやすくするのではなく、原液と原液を溶け合わせて、さらにドロドロにしたような。僕はとにかく濃い音楽が大好きだから、もうたまんない。
また、幾層にも重ねられたディアンジェロの声が織りなすコーラスは、まるで70年代のマーヴィン・ゲイが蘇ったかのようだし、「Untitled (How Does It Feel)」の壮絶な呻き声やシャウトは、全盛期のプリンスを思いだす。極端にBPMを落としたファンク・ミュージックという視点でアルバムを見るなら、カーティス・メイフィールドの「There's No Place Like America」収録の名曲「Billy Jack」も入れるべきだろうし、そう考えるとこの無駄な音を削ぎ落としたミニマルな編成は、「There's No Place Like America」の構造にそのまま通じるかもしれない。過去のソウル~ファンクの偉人達やそのマナーを徹底して敬いながら、その上で全く新しい音楽を作り上げてしまったディアンジェロは凄い。凄いんですよ。本人が言う通り、「ブラック・ミュージック」としか言いようがないです。マイルス・デイヴィスやプリンス、デューク・エリントン達の音楽がそうだったように。それだけ言いたかった。
つーことで、僕を何度も骨抜きにしながらイかせてくれた傑作です。散々語られてる作品なので、今更僕が恥さらしながら言うことはあんまりないんですけど、まあ、自分なりの感想文を記してみましたということで。

# by segura_ele | 2012-03-14 00:09 | Trackback

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